日野家と遠見家の大事な大事な孫娘


○主題
 さて、日野、という姓には、その字からも太陽の属性があります。
 それは字面だけでなく、本編中で彼らがもたらしたことからして、明らかです。
 その点を踏まえて幾つか話をしていこうと思います。
 とりとめがないのは、もともとは前記事(http://shaper114.blog.jp/archives/8483020.html)の一部でしたが、そのまとまりを壊してしまうと思ったので、こちらに分割しました。でもまあ傍論オブ暴論という意味では同じです。 
 平にご容赦を。いつも通りのテキトー与太話です。

○遠見弓子という“月の女神”
 
日野家について述べる前に、 前記事(http://shaper114.blog.jp/archives/8483020.html)において、遠見家の三人はゴルゴン三姉妹と対応関係にある、という話をしました。こじつけですね。
 でもそこから始めたいと思います。
 いかに日野家が太陽的なのか、という視点は、以下からの対比によって得られたものですから。 

 さて、ステンノーにしろエウリュアレにしろ、もともとは月の女神の呼び名であったといいます。となると、特に対応してくるといえば、弓子のほうになります。月と弓には共通して“弦”があり、同じく曲線(アーチ)を描いているもの、であることなどから、弓というのは、象徴的には月と強い関連性がありますね。また、末妹メドゥーサが死せるものであるのに対して、姉であるステンノーとエウリュアレは不老不死であったといいます。千鶴が不老である、というのは事実ではなく印象にすぎませんが、エウリュアレと強い相関性を持つ弓子が一度は蘇った事実は、ひとつ気に留めとくと面白いかもしれません。
「蒼穹のファフナー」において、死を克服するということの象徴性。


月の光が朝にほどけていくように、しずかにいなくなった弓子

××× ××× ×××


 弓子が「月の女」なら、逆位置に対応するのは「太陽の男」です。そう、日野道生です。

 事実として、弓子の登場人物としての魅力は、道生との再会を期に、大きく高まっていくことになります。気のいい美人先生、という役割から一歩動いて、一人の人間として、葛藤し、涙し、また希望を抱く――。そんなエネルギーを、道生から受け取っていたように思います。
 それは美羽を産んだことで母としての愚かさ、逞しさを手に入れていくこととも同心円を描いて、遠見弓子/日野弓子をより血肉の通った存在へと変えていきました。
 道生もまた、弓子との再会によって、生来の朗らかさだけでなく、未来への不安も同時に表現するようになり、より魅力的な人物となっていきました。二人の間には、良いフィードバック関係があったと思います。
 次は、彼女をより輝かせた日野道生について触れていきたいと思います。

○日野道生=太陽(=奇跡たる「相反するものの結合 Solve et Coagula」)をもたらすもの 
 遠見家に縁深い人間である日野道生について。
 道生が搭乗していた機体の名は「メガセリオン」と「マークアイン」でした。
 前者のメガセリオンとは、ヨハネの黙示録の“大いなる獣”を意味し、また魔術的にはマスターセリオンこと、偉大なる魔術師アレイスター・クロウリーに通じる言葉であります。魔術の指導者としても有名な人物です。彼によれば、セリオンとは太陽を象徴する神格であるとのこと。つまり太陽と関連付けられます。
17話。太陽のように上昇し、ミサイル撃墜に向うメガセリオン


 マークアインはノートゥングモデル第“”番機でしたが、1はタロットカードにおいては“魔術師”です。魔術師は理性と感性の両方を用いて、奇跡を体現することを試みる者のことです。
23話。太陽のように輝く気化爆弾を炸裂させるマークアインは、マークニヒトの撃破という至上命題に挑む



 そういえば、道生は意外と料理上手なところが無印19話で表現されていましたが、魔術・錬金術の根源は料理にあるという説があります。ここにも正しい相関性が見られると言えるでしょう。太陽を目指した魔術師アレイスター・クロウリーとの同然、といいますか。まあここらへんの同然は、本編とはほとんど関係ないと思います。与太話の与太話たる所以ですね!
 道生は昔から「昔は臆病で情けなくって、目立ちたがり屋で女好きのろくでなしだったわ!」と、おもしろキャラというか、ムードメーカー的なところがあったようであります。
 昔話はともかくとして、島に帰ってきてからの日野道生は、子供たちのいい兄貴分として、また歴戦の兵士としての峻厳さを発揮し、つまり太陽のような朗らかさと厳しさを併存するムードメーカーとして、年若いパイロットたちを“導いて”いきました。日の光が道を指し示すように。

 以上のことから、メガセリオンとマークアインどちらの機体においても、また彼個人のパーソナリティにおいても、異なる物事の止揚=奇跡を試みるもの=太陽のように輝き・導くもの、という象徴を持ちます。
 メガセリオンに乗って長らく英雄的戦闘を続けていた点、島への攻撃をほぼ単独で阻止したことは、奇跡の実現といっても過言ではありません。マークニヒトをただの人間でありながら撤退にまで追い込む契機となったことも、彼の太陽性(奇跡をもたらす性質)に拍車をかけるエピソードだと思われます。
 太陽は十二の宮をめぐりますが、十二という数字は道生を除いたノートゥングモデルのパイロットの総数とも一致しますね。皆にとって先世代である道生が“太陽”であること、皆の生存の恩恵の基礎となったことは、この点からも補強される考え方だと思います。
 彼なくしては、一騎達が戦いを続けられることはなかったでしょう。

道生と弓子の結婚の象徴性 

 “日野道生(“太陽/が通る黄道”)”と“遠見弓子(月)”が婚姻したところに、“日野美羽(太陽・の翼=星に射す日光の恵みの意、と捉えれる)”が生まれました。これを、また、錬金術的に言うところの大いなる存在を結実させる力が働いたことなどと話してみるのもおもしろいかもしれません。
 錬金術――その末裔である科学――というものは、異なるものを両立させることで奇跡を手に入れること、を目的としてきました。また、その哲学も「相反するものの結合(Solve et Coagula)」をモットーとしたと言われています。ワルキューレの岩戸にも刻まれていた言葉として有名ですね。
 男と女・太陽と月・陰と陽・平和と戦争・存在と無……あらゆる対比されるものを、止揚し合一させる術を、錬金術師たちは求めた。もっともそれは、科学者であろうと、恋人たちであろうと同じことです。道生と弓子も、同化ではない合流の幸福を求めて、戦い、そして生き延びようとした。それだけの話、です。

 道生は長らく弓子との写真を“肌身離さず”にいました。それは、島を出た後の彼の命と理性を支えるものでした。
 が、それが身体から離れたときに、死を迎えることになりました。
 これを、女の写真男の身体という相反するものをひとめとめにする=合一化によって道生に付与されていた「完全性(不死性)」の喪失と見做すこともできると思います。つらい。

○賢者の石たる日野美羽
 さて、あえて象徴的なこと言うならば、竜宮島の科学者(アルケミスト)たちが、ついに得ることが出来た大いなるもの――それが日野美羽だった。というところでしょうが、それが事実であろうとなかろうと、遠見千鶴たちこそが厭う答えではあると思います。ただ示唆的でもありますので、仮定を続けたいと思います。
 道生と弓子の婚姻の象徴性から、美羽を『「相反するものの結合(Solve et Coagula)」「知識(エスペラント)」を司るもの――“賢者の石”』のような存在、と解釈することも可能ではあります。賢者の石は、性質的には「水銀/貴金属」と「硫黄/卑金属」などの合成物――異なる性質を併存する柔軟な物性を持つ不思議な石だと言われています。彼女の生命の柔軟性も、こことつながっているように思います。
たった数年で何倍もの速さで成長する美羽
ミールの導きに従って、たやすく成長する美羽

 また、賢者の石は癒やし・不老不死をもたらす薬でもあります。
 美羽が望んだから弓子は蘇った、というところを直接的に受け止めれば、こういった働きが象徴的には背後にあったと想像することも、まあ可能でしょう。
 前記事において、美羽が真矢のヒーリングに寄与した、というのも、こういった観点から整理することもできます。
 この意味では、美羽にもまた遠見家代々のヒーリング性が重なっているのは、明らかですね。

 彼女が何をもたらしたのか、については前記事(『マークゴルゴはいなくなった』 http://shaper114.blog.jp/archives/8483020.html)にて触れておりますので、よければ。

××× ××× ×××

○真に「相反するものの結合(Solve et Coagula) 」を司った科学者・日野洋治
 同じく日野の姓を持つキーパーソン、父・日野洋治について。
 その姓名(生命)は、太陽(日野)海(洋)混合なので、やはり彼にも“相反するものの結合(Solve et Coagula) ”を達成するだけの属性があると思います。
 マークザインという、人の文明とフェストゥムの力の混合を生み出すだけのことはあったと言えるでしょう。

最期は、太陽の燦然のごとき光の中に消えていきました。



○日野 恵
 結果的には、日野家の中で最初になくなってしまった日野母さんですね。
 RIGHT OF LEFTでの厳しい教官姿、ファフナー第一話で蔵前果林を励ます姿などが印象的な女性でした。
 そういった両面性は、息子・道生と共通するものがあると思います。
 厳しくも、やさしい。それは太陽の性質にほかなりません。名は体を表すといいますが、まさみ“恵み”たる人でした

陽が沈むようにして、ワームスフィアに消えていく恵さん

 ところで恵さん、小説版準拠になったシリウス版ファフナーだとバーンツヴェックに乗ってなかったので、もしかしたら再登場もありえるかもしれませんね。


××× ××× ×××

 日野家特有の、厳しさと優しさを両立させたところは、一家に共通した様子ですね。道生が両親を振り返ったシーンなどから、決して仲は悪くなかったようですし。それだけに、洋治が道生を連れて家を出た、というところに、深いエピソードが眠っていそうなところです。もはや聞くことは叶わなくなってしまいましたけれど……。しかしその性質・属性は、確かなものとして美羽に受け継がれることでしょう。あれで苛烈な女になったらちょっと道生さん泣くと思いますが。
 それにしても弓子、中々どうして日野の女っぽいというか、激しさと母性の両立は出来ていましたね。どこまで折り込み済みの性格設定と演技だったんでしょ。昔から日野家に出入りとかしてたのかしら。
 恵さんに料理を教わる弓子……いいね! 




 さて、こんなところで。ではでは。

 さて、実質最初の投稿になります。
 このネタをどうにか出力するために、このブログが始まったようなものです。
普段からTwitterでは「蒼穹のファフナー」に関することをメインに、正に徒然なるままにテキトーつぶやいてるんですが、ついにTwitterだと不適当なまでに膨れ上がってしまったので、じゃあブログでもやってみっかという次第になりました。
 なにかご覧になった方に得るものがあれば幸いです。なくても気にしません。いや、ちょっと泣きます。

 それでは御覧くださいー。


○マークゴルゴは存在した。が、もういません。
 遠見真矢=マークジーベンとは、マークゴルゴです。
 ゴルゴとは、「Gorgon」の意である。つまり怪物のこと。
 ギリシャ神話にはメドゥーサという、髪が蛇になっている醜女の怪物がおりました。
 ゴルゴン三姉妹の末妹です。
 元はアテナ女神以上と驕ってしまうほどの美貌を持っていたそうですが、そのせいでアテナに呪われたそうな。不憫。
 ゴルゴンの眼が見たものは石になってしまうといいいます。
 最期には、英雄ペルセウスに討ち取られて死んでしまいました。

 見たものを、行動不能に陥れる邪視を持つもの。
 数多の蛇を髪として同時にものを視る能力を持った怪物。
 誰かの戦士としての姿に似てますね。
 そう。マークルゴルゴ、もとい、マークジーベン、つまり遠見真矢の話をこれからします。
 遠見真矢の、これからの話もします。


○本記事の主題について また注意点について
 
 ゴルゴンの邪視とペルセウスとの戦い、の再話が本作であったことを一つ目のテーマ、
 そして遠見真矢がどうなったのか、について論じていきたいと思います。

 ただし、本記事(および別記事に)において、それはその時の理解や解釈であり、
 今後および以前においての私の意見と完全な同一性の保持がされているとは限りません。
 
 なお、本稿においては、マークゴルゴの「ゴルゴ」とは「かの著名なスナイパー」のことではなく、
 怪物ゴルゴンのことである、という仮定のもとで進めます。
 
 “メドゥーサ”と表記した場合には怪物ゴルゴンのことを指し、
 “メデューサ”と表記した場合にはマークアハト/ノインに搭載されている砲撃装置のことを指すことを注記しておきます。
 また、動画のスクリーンショットはdアニメストアから引用させていただきました。

 筆者は「蒼穹のファフナー EXODUS」の円盤所収のドラマCD「THE FOLLOWER」および「THE FOLLOWER 2」は拝聴しておりません。
 また、放送当時~以後にあったと思われる、冲方丁をはじめとしたスタッフのインタビューなども、殆ど拝読、参照いたしておりません。。
 そのため、スタッフおよび外伝における解釈などの全てを網羅・理解しておらず、それらが伝えるものと本記事が矛盾することもあると思います。

 話題・章の区切りには「××× ××× ×××」の記号を入れております。

 誠に勝手とは思いますが、ご了承いただければ幸いです。

 それでは、始めます。

××× ××× ×××


○遠見先輩マジマークゴルゴ

 「見た、撃った、当てた、落とした」、と見ることを本質とした真矢による狙撃能力は、もはや呪いめいて敵を穿ちます。敵機はさながらゴルゴンの邪視によって石にされたかのように、戦闘力を奪われて脱落していきます。真矢が発現したSDPにおいては、同時多重ロックオンをしていましたが、これはゴルゴンの蛇髪が複数同時に敵をにらむことの寓喩であります。

マークジーベン(ノートゥングモデル) 
当時はその冷徹な狙撃姿勢と卓抜した能力からゴ○ゴ13にあやかったネタでしかありませんでしたが……

マークジーベン(エインヘリヤルモデル)
真矢の存在と無の力であるSDPを十二分に発揮、いや表現するマシーン。
真矢のもう一つの肉体、接続機器、延長部。
真矢を肯定し/否定する器。



アイ「誰も死んでない……? 殺す気はないと?」
 真矢の狙撃による撃墜の本質は、「無力化」であり「石化」に等しいものなので、その通りですね。

 このあたりのモチーフ「力を奪う怪物」をもてあそぶと、SDPによる無力化/石化能力者・遠見真矢が、珪素生命体フェストゥムと決戦時に干戈を交えなかったのも、必然な気がします。
 真矢はこの時点では怪物(メドゥーサ)となっているわけであります。そして怪物とは、人と戦うのが常です。
 フェストゥムから戦闘力を奪うことは、ほぼ不可能というのもありますしね。土を石に変えたところで、それの害意が損なわれるということもないでしょう。

 真矢が「自身の存在としての真価(SDP)」を発揮したときには、その敵なるものは既にフェストゥムではなく人間となっていた、というのは、いかにも皮肉っぽいところです。これは、23話の真矢がヘスターにした宣言とも通じるところがあるかと。

 ちなみに、「ジーベンにメデゥーサが搭載されていれば完璧だった」という思いつきがあったりもしましたが、あらためて考えると、考えなくてもいいところだと思いました。
 真矢のSDPの本質が「敵を無力化/石化/置物化すること」だとすれば、兵装メデゥーサの火力は過剰に過ぎますから。

××× ××× ×××

○遠見家=ゴルゴン三姉妹
 ところで、年若く見える千鶴、弓子、真矢の三人が並ぶと、さながら“三姉妹”のようですが、
こう見ると遠見家はホント美人揃いの一家ですね。
このカットなど、どちらが年上かわからないところがある 千鶴さんマジ不老

 つまりこの三人は「ゴルゴン三姉妹」である、という同然があるのではないか、と思いました。ちなみにペルセウスと相対したのは末女メドゥーサでした。三人並べば真矢は末妹に見えると思います。実際末っ子ですし。この点を意識すると、真矢にはメドゥーサ性が多少はあると言えると思いました。本記事のスタート地点の一つですね。
メドゥーサ (ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ/画、1595-1596) wikipediaより
真矢とは似ても似つかぬ怪物ぶり


 ゴルゴン三姉妹ですが、末妹メドゥーサを除く二人の姉は不老不死だったといいます。
 いつまでも年若く見える=不老の暗喩を持つ遠見千鶴と「長女ステンノー(強い女、の意)」との重なり、一度死にながらも蘇った=不死の明喩を示す日野弓子と「次女エウリュアレ(遠くへ行く女、彷徨う女、の意)」との重なりなど、なにか考えさせられる点が色々とあると思います。
 
 ちなみに真矢と対応させたメドゥーサの名の意味は「女支配者、王妃、女王」などでしたが、個人的にはその印象がないな、という気がします。まあもともとが牽強付会なんですが。
 もちろん、これをタロットの女帝女司祭のほうに展開させていけば、それなりの示唆は得られるでしょうが、本題からやや外れた知識遊び・言葉遊びがベースになる以上、あまり触れるのは得策ではありません。なので話はここまでにしようと思います。タロット遊びは危険です。真矢のジーベン(七番機)がⅦ「戦車」と関連付けられるところとか。
 
 ここらで、ゴルゴン自体への言及と説明は終えたいと思います。

××× ××× ×××

○ゴルゴンの末女・メドゥーサを殺した英雄ペルセウス


 さて、本筋に戻ろうと思います。
 真矢=ゴルゴン/メドゥーサに相対するのは、ギリシャ神話からこっちペルセウスであります。
 ペルセウスは「見たものを石に変えるメドゥーサ退治」、「天を支えるアトラス殺し」、エチオピアの王女とのロマンス、など中々ヒロイックな英雄です。
 思えばペルセウス中隊のネーミングがどこから来ているのか(それはアルゴス小隊もそうだが)は本編の話だけだと不透明なところがあると思いますが、本記事がなんらかの啓示を助けることができれば幸いです。

 とにもかくにも、ペルセウスが必要です。
 となるとやはりペルセウス中隊から参照するのがいいでしょう。
 しかしペルセウス中隊は完全に壊滅した部隊であり、生き残りはミツヒロ・アイ・ビリーの三人。ならば彼らが候補となりますが、この時点ではアイは実際には死んでおり、ミツヒロも人間やめちゃっていることもあるので除外。よって兄を殺された因縁もあり、ペルセウスの役は同中隊の生き残りであるビリーに担わされることになります。
ビリーが大事にしていたコインの表象はアテナ女神ですが、アテナはメドゥーサと因縁深く、それの退治に多大な助力をした女神。既に登場した時から、ビリーの運命は決まっていたのかもしれません。

かくして因果的にも象徴的にもペルセウスを任じられたビリーは、邪視を持つゴルゴン・遠見真矢と相対します。
しかし彼にはハルペーの鎌もよく磨かれた盾もない。助けてくれる戦女神といえば復讐に燃えて正気を半ば失ったキースだけ。それどころか、当人自体が動機に陶酔することすら出来ていない。ペルセウスとして失格であります。また、ゴルゴン・メドゥーサたる真矢も、彼を憎むどころか救わんとしていた。ああ、支離滅裂。


 英雄ペルセウスの役を託されたビリーは、復讐に迷うビリー・モーガンでしかない。またゴーゴンのメドゥーサ役の真矢は、徹底してペルセウスを救わんとする遠見真矢でした。この支離滅裂は、もはやありえた神話を成り立たせることはなかった。
 実際に、キースと二人がかりであるはずだった優位性は、一瞬にして覆され、それどころか命を助けられる始末だったのが、真矢とビリーのファフナー戦の顛末です。
(同時に、真矢がその最後の最後まで、命を助けることにファフナーを用いたことは、記しておかねばなりません)

○果たされなかったペルセウスとメドゥーサの相克

マークジーベンから降り、己の象徴である眼/瞼=魔力を封じ、真矢はビリーを受容し、銃弾を待ち構える。


穿つことを許されたはずのビリーの眼には、涙。
瞠目していた真矢はこの涙を見ただろうか?


だが神話のなぞりは既に破綻しており、人間・ビリーと人間・真矢の相対は、やはり人である溝口恭介の介入を許すことになる。神話は明確に完膚なきまでに頓挫する。



結果として、ペルセウスを全うできなかったビリーの亡骸と、それを慈しむゴルゴン・真矢の二人が残される。

神話の再話は失敗に終わった。
だから、そこには人間だけが遺される。
だが、遠見真矢は人間だろうか?

××× ××× ×××

○『誰が遠見真矢の髪を切ったか』



さて、ここまで述べたことを整理すると次のようになります。ついでに内情もぶちまけちゃいます。

・遠見真矢にはマークゴルゴという視聴者によるあだ名があったが、それについて与太話をこねくり回してみようと思った。

・マークジーベンとはマークゴルゴである。それは「MK.Gorgon」と書く。
 機体特性とSDPによって、真矢の認識能力を基礎とした狙撃能力を
 「見た、撃った、当たった、落とした」という自動的な・必殺の呪いめいたものへと昇華している。
 さながらギリシャ神話のゴルゴンが持つ「石化の邪視」のように。

・極まったパイロット能力とSDPの相乗効果は、真矢を「MK.Gorgon」へと化生させた。SDPの複眼は髪から数多生えた蛇の眼のそれであり、狙撃能力による不致死の攻撃はさながら石化のようである。

マークジーベンとは、ファフナーという真矢の肉体と直結した銃であると同時に、真矢に魔力(SDP)を備えさせる蛇髪/かつら/外部装置である。髪は古来から女性の霊力の源であり、かつらはそれを補強する魔術的道具でありました。
 よって真矢とファフナーの関係性において、機械(コード)の塊であるファフナーを、真矢の髪と見做すことは、さほどおかしくないと思います。ファフナーはパイロットの延長にありますしね。


 といったところです。ここからが、本題になります。というか、与太話をしているうちに気付いたテーマの発表であります。最初っからテーマがあったわけではないのがいつもの悪い癖!


重要なレイアウトである。

ファフナーから離れて歩く真矢の先には…… そして遠くで根付いたシュリーナガルミールの根本には、今だれが存在しているか? 真矢が足を進める先の世界には、なにがあるか?

美羽に近づこうとし、しかし血塗れの自分を負い目に思ってか、歩みを止める真矢

 短時間のうちに、真矢のドラマはテンポよく進みました。
 正直、もっといろんなものを描写してほしかったところですが、むしろ大群像劇の最終盤に、これだけ一キャラクターがフューチャーされたのですから、文句の言いようがない。ヒロインだけどな! 
 まあ、真矢はEXOにおける第三の主人公という側面のほうが大きいと思います。そのテーマが延長性を保ったまま、つまり続きを予感させながらEDを迎えたことといい。
 とはいえ。
 今回この記事を書いていることで気づいたことですが、真矢のドラマはEXO26話の時点である程度決着がついたと思えました。

 26話のビリーを介した神話の再話によって、真矢に何がもたらされたか?
 それは、ファフナーとの離別――切断である。


○真矢にもたらされる切断。一人の人間であることの祝福。

 真矢とビリーの決着の前兆にある、「マークジーベンの乗り捨て」。これは、切断=散髪のモチーフである。

歩いていく真矢――マークジーベンから離れていく

 真矢は、呪いめいたSDPを担う、ゴルゴンの蛇髪/鬘/外部装置といえるマークジーベンを乗り捨てました。これは切断=散髪のモチーフです。真矢とファフナー・マークジーベンの決別。
 
 つまり、真矢が愛した“あの二人”がしたことの再話であります。
18話。総士が一騎の髪(生命の一部)を“切る”ことで、かえって一騎を此岸へと結びつけたことと同じことが、真矢にもたらされる。
当然のことながら、髪を切るのは自力ではなし得ない。誰かによって施されるものである。(それは祝福に常に似ている)
では、誰が行うのか。本編をご鑑賞された方なら、もうお気づきのことだと思います。



真矢は美羽に触れないようにする。血塗れだから、人殺しだから、怪物だから、ファフナーだから、ゴルゴンだから。

しかし美羽はその躊躇いを超えてくる。家族だから。真矢が大事だから。皆を守ってくれたから。愛しているから。
弓子のように、エメリーのように、――見知らぬ父のように 想うべき人をちゃんと想うために。大事にするために。

 このとき、真矢にもまた、「蒼穹のファフナー」という作品の根幹で光るもの・が与えられたのです。それがファフナーとの断絶です。ゴルゴンとしての自分の髪を切り取ってもらうことです。存在の一部を切り取ってもらうことは、傷つけられることのシノニムなのです。

 かつて切断を選んだ一騎に「似合うよ」と伝えたように、今度は真矢にそれがもたらされた。いかにも「蒼穹のファフナー」らしい、因果のめぐり、反復と変化・矛盾と止揚のエッセンスではありませんか。

「みんなを守ってくれて、ありがとう」と、血塗れの真矢を抱きしめる美羽には、そんな包容力と切断力があった。



己を世界の外にいる怪物として全うさせようとした真矢は、世界の側に存在する美羽に抱きとめられる。
真矢は邪視以外に、眼が生み出すもの“涙”をようやく流す。

真矢は、ただ美羽にすがって涙する。
それで、この話はすべておしまい。すべてです。

○終わりにかえて
 ファフナーに同化してマークジーベンと成り、視聴者からはマークゴルゴなどと呼ばれ、同じ人間からはDアイランドの死神とまで呼ばれるようになった真矢は、それでもファフナーを切り捨てることが出来た。
 さながら、ゴルゴンがその蛇髪を散髪することで、ただの女になれた――という嬉しくて悲しい物語があったかのように。
 これは、19話で自身が一騎へもたらした『「散髪という傷のシノニム」に対する肯定』と同心円を描くものです。
19話より。筆者が本編で最も尊いと感じるシーンがここ。
「似合うよ」というたった一言で、一騎の不安は吹き飛び、世界は肯定に満ち溢れる。
それは祝福にほかならない。
祝福とは、その存在の様を愛しますという宣言を与えること。

 蒼穹のファフナーは、痛みと傷でさえも、祝福へと成りうることを歌い続けてきた作品だと、個人的には思っています。
 それはニーチェが言うところの運命愛に他ならないし、万人に究極の痛みと克己を求める世界観であって、厳しい話です。とても。
 はたしてどれだけの人が、自分の人生につきまとう痛みと悲しみの全てを肯定し、それを踏まえた先の人生に、あらためてイエスと言えるだろうか。心の底から?
 真壁一騎だろうと、皆城総士だろうと、真壁史彦や真壁紅音、皆城織姫たちでさえ、それにつきまとう痛みと悲しみと不安に打ち勝つのは難しいかった。
 そして、それでもいいのだ。ただそれと和解することを試み続けるなら。それと向き合うことから逃げなければ。痛みがあったことを忘れないのならば。
 しかし遠見真矢は、肉体的には傷つくことが出来ず、辱められようと痛みを圧し殺し、なんでもないように振る舞った。それが出来る強さを持ってしまっていた。それは嘘だし、だから怪物になってしまった。命を代価に交渉を迫り、機械のように・呪いのように敵を打ち払うものになってしまった。
 だが、もう真矢はファフナーに乗らないだろう。その呪わしいほどの接続は断ち切られた。美羽による、たったひとつのシンプルでやさしい言葉と包容によって。
 遠見真矢はファフナーを降りたのです。もう死神でもゴルゴンでもありません。
 ただの遠見真矢として、世界に再生したのです。


 これからの世界を、新しく生きて行く遠見真矢に、ささやかでもいい、たしかな幸運と祝福があるように、ただ、願います。



○それから……
 ファフナーを介した呪いと、ファフナーという殻から生まれる子供、というモチーフには「皆城総士」―「そうし」に通じるモチーフがあると思います。それが真矢にも掛かったと言えます。
 真壁一騎が無印15話で「自分を食らいながら・それでも自分を求めた結果」、マークザインとともに世界へ再生したときのように、常に機械の器・ファフナーは契機の司りとして、パイロットを生み出す器となる。
 ファフナーを介さなくとも人間は再生が出来ると思いますが、ファフナーこそが、本作がSFでなければならなかった要諦です。
  SFの特徴と恩恵である「想像力が生み出した新しい物による、新しい・人間の内面表現」をもたらすためには、真矢はファフナーと関わるしかなかった、と、本編を踏まえれば言うしかありませんし、たとえばファフナーに乗ることがなかった真矢が「蒼穹のファフナー」らしい、成長と浄化・極限状況下の試練と選択・傷の獲得と治癒、を得ることができたか。その風景と時間に到ることが出来たか、については、口をつぐむしかありません。それがないことに越したことはないと思いますが!

  「真矢は不憫」とは冲方丁の言葉ですが(by冲方サミット2016年10月25日)、それだけに、こうした記事を書くことによって、遠見真矢という人間の存在と祝福を祈るしかなく。そんな思いもあって、こうしてはじめて記事を書くことに導かれました。
 マークゴルゴという松本まりか嬢自身嫌がってるというネタと、Gorgonという本編に全く出てこないモチーフを利用することでしか真矢の救済を言語化できなかった自分ぼんくらすぎますねー。まあきっかけは何になるかわからないものです。
 ありがとうWikipedia! ありがとう集合知! ありがとうインターネッツのネタ! 
 ありがとう冲方丁! ふざけんな冲方丁! 続編期待していいのかわからんぞ冲方丁!
 や、そのときは何卒よろしくお願いします。



 そんな感じで。ではでは。


ブログを始めてみることにしました。

もともとそんなことをする予定はなく、言いたいことはTwitter(https://twitter.com/shaper114)で済ませていたのですが、
やむにやまれずというか、画像とテキスト(ちょっと編集もしたい)を同時にささっと使える使えるものがないかと思って、はじめることに。
まあ何事も経験だと言いますし、まったく続ける予定もありませんが、ちょっとしたネタの保管庫になればいいかなと思います。

アニメとか、漫画とか、小説とか、映画とか、あとはまあなにかその時にどうしても言いたい書きたいことがあったら、ここに放っていくような具合で行こうと思っております。

では、ひとつ、よろしくお願いします。
 

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